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flashback

「フラッシュバック」

頭の中に、一瞬何かが弾けるような、差し込まれる様な感覚があったのは、もう10年以上も前のことです。 始めは、パッと頭の中を何かがよぎる感じで、あまり気にしていませんでした。疲れているせいだろうと。 頻繁に起こるようになって、混乱しました。いたたまれないくらい気持ちがかき回されるし、かなり頑張らないと、自分にも生活にも現実感が無くなってしまいそうだったのです。。ですからそれが起こった後に、何がよぎったのか思い出そうとしました。 でも思い出そうとすると、動悸がしてきて息が苦しくなって、なかなか続けられませんでした。

何年間も同じことが繰り返し起こり、それでも何なのか、何故なのか分かりませんでした。それが起こった後の私の状態は変わっていきました。吐き気、震え、冷や汗、湿疹、頭痛、眩暈・怒り、悲しみ、孤独感、死にたくなるほどの絶望感・・・そして、最後は疲れ果てて無気力になるのです。

やがて絶望感と無気力感で、日常生活が難しくなっていきました。いつも通りにしている為に、変だと思われないように、プライベートでは誰にも会わないように自宅に引きこもるようになりました。 ある時、いたたまれなさに耐えている時、泣きながら呟いていました。 「やめてやめてやめて!でも絶対に勝てないんだ・・・」 。何が起きているのか分かりませんでした。自分が正気なのかどうかも分からなくなりそうでした。

自分なりに調べて、もしかしたらフラッシュバックかも知れないと思いました。忘れているだけで何かがあったのでは?! 分からないままでは、これ以上生活も人生も不安で生きていけないと思いました。だから、決めました。今までの事もこれからの事も起こること全部受ける。

□フラッシュバックとは、過去の出来事や体験による感情や情動が突然甦ることで、なんらかの心身反応が引き起される「 情動反応 」のことで、、「あのとき」の情景や記憶も甦る場合と、感情や気分だけが甦る場合があります。

□やがて記憶が一枚の写真のように頭の中に現れるようになりました。 最初は子供の私が小さな弟の三輪車に乗っています。足が上手くペダルに乗っていません。大昔の記憶なのに何もかも色鮮やかでくっきりしていて、でも・・・なんだか違和感があるのです。 ・・・・変なのです・・・うちは当時貧しくて、私は幼稚園に行けず、いつも一人で遊んでいました。三輪車なんてなかった。スカートをはいているけど持っていなかった。いつもズボンをはいていた。 この記憶は何?!いきなりぞっ!としました・・・これは嘘だ!!どうして?!全身に悪寒が走りました。 それ以後、その量は増えていきました。その度に色んな光景が見え、聞こえました。 真っ暗な奈落の底へゆっくり落ちていくような感覚・・・底には何が待っているのだろう・・・。 記憶の写真が動き出しました。声が聞こえます・・・薄暗い診察室で医者が言っています「まだ小さいから」。遠くから母の声が聞こえます「あの男が、そう言えって言ったのかい?!」 。思い出しました。当時近所のアパートに浪人生が住んでいて、幼稚園に通っていない私は遊んでくれるお兄さんといつも一緒でした。 母に止められていたような気がします。 体の奥が死ぬほど痛くてギュッと目をつぶったら、三輪車に乗っていました。下着に触れると手の平が染まっています。その手の平を見つめて暗転しました。 何が起こったのか・・・想像がつきました。 こころは5歳に戻りました。恐ろしさに震えました。涙が止まりませんでした。 自分が悪いんだ。自分のせいだ。自業自得だ。いいえ、悪くない。自分は小さな子供だった。

なぜ、いつもいつも心の奥底が悲しくて寂しくて、まるでずっと泣き続けているように感じるのか・・・なぜ理不尽な出来事に殺意に似た怒りを感じるのか・・・なぜ自分を許せないと思っているのか・・・なぜ生きていてはいけないと思っているのか・・・。 そんな自分にも理解出来ない心の奥底の誰にも知られたくない感情のわけが、分かったように思います。 自問自答を繰り返しながら、歯を食いしばって社会人としての生活を送りました。朝起きて会社へ行き、仕事をしながら自分以外の人と関わり、夜帰宅してお風呂に入って眠る・・・そんな毎日の生活の中で大人として少しずつ心が落ち着いて、5歳の子供から現在の自分へと・・・そうですね、成長したみたいです。

フラッシュバックは終わっていないのかもしれません。でも出来事のすべてを思い出すことが必要だとは思いません。もう必要ないからです。 これまでの私は、誰かに感謝されても、難しいことを成し遂げて褒められても、愛されても慕われても・・・自分を信じられないし、安心できませんでした。それは、どうせ勝てない、自分には力がない、悪いのは自分だから・・と、絶望していたからだったのかもしれません。

□こころは5歳の自分を守るために、選択をしたのでしょうか。抱えて生きるにはあまりにおおきく過酷な出来事を乗り越えて行ける時期までいったん覆い、成長を待つという選択です。やがて成長した自分のこころの覆いを払い、無意識のそこから自然に剥がれ意識に浮かんできたバラバラな記憶を、時間をかけて一つの体験として思い出すように。

□ いつかきっと、自分を抱きしめることが出来るでしょう。愛しい大切だと愛せるでしょう。そんな日が必ず来ると分かるから大丈夫、私は生きていきます。

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