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「注意欠如・多動性障がい」

私はいつも考えています。どうして自分はこんななんだろう・・・と。何で上手くいかないのだろうと。何でいつもいつも、こんなに苦しいんだろうと。
母の言うように、本当に気が狂っているのでしょうか・・・。
日常生活そのものがしんどくて辛くて嫌になります。誰にも会わないで一人でいたいと思います。

小さな頃からいつもぼ~っとしていたようで動き出すのが遅れます。母は何回も「早くしなさい!」と声をかけていたようですが、私には聞こえていませんでした。
母の叱る声に気づいて焦ると、大抵は転んで余計に時間がかかったり、人や物とぶつかって怪我をさせたり壊してしまったり・・・そうするともっと慌ててしまって何が何だか分からなくなってしまいました。
そうかと思えば急にはしゃぎまわって大騒ぎして手が付けられなくなることがあったようで・・・私は覚えていませんが。母が怒って、私の事を気が狂っていると言っていたことは覚えています。
いつもぼ~っとしているくせに、いったんはしゃぎだすと止まらなかったのかも知れません。いつからかは分かりません。ただ「はしゃいじゃダメ!喋っちゃだめ!」と叱られていたことは覚えています。
そのうち、話そうとすると息がつまり、言葉がうまく出なくなりました。

小学校では毎日忘れ物をしていました。一つか二つ・・・必ず何かを忘れているんです。
母は忙しく、前夜一緒に教科書やノートを揃えることはできなかったので、一人で揃えていました。
担任の先生は私の不注意に呆れ、私にあだ名をつけました。「忘れ物の王様」。その日の夜、母にひどく叱られました。
それ以降も毎日忘れ物をする私は、クラス中に笑われ、からかわれていました。
どうして耐えられたのか分かりません。みんなが遠い違う世界にいるような・・・そんな気がしていたんだと思います。
それからも相変わらず教室ではいつもぼ~っと窓の外を眺めていて、先生の話をきいていなかったようです。名前を呼ばれていると気づいても「はい」と言うように唇が動いても声にはなりませんでした。
大人になって母から聞いた話ですが、「自閉症」ではないか、と先生に検査を勧められたことがあったそうです。実際には私は病院へは行っていないそうですが。

1年生の時に学校の聴力検査で、私だけ再検査になりました。
私には聞こえているのに、聞こえるはずがない、と何度も検査の医者に言われました。でも聞こえているので、ボタンを押して聞こえると答え続けました。何度も検査をしたので、母は医者に恐縮して、「ホントは聞こえてないんでしょ?!」「聞こえてないならそう言いなさい。」と私に言いました。私はだんだん分からなくなって、疲れ果てて何も答えられなくなり検査は終わりました。
でも、本当に私の耳には聞こえていたんです。いつも頭の中で何だか分からない音が聞こえていたんです。でも子供の私には説明ができませんでした。
私はいつも頭の中の「音」を聞いていました。みんなそうだと思っていました。
母の声も先生の声もみんな、頭の中の音の向こう側からしか聞こえない・・・遠くの声だったんです。

大人になってからは、職場での不注意による失敗ばかりでした。失敗するのではないかとビクビクして、混乱して、結局失敗してさらに混乱するのです。
落ちつこうと思っても、どうしても焦ってしまいます。浮足立ってしまって落ち着くことが難しいのです。
そんな状態ですから、上司からも疎まれパワハラのようなことがありました。私だけでなく、気分次第で同僚にも後輩にもつらく当たる人がいました。
私は不注意な人間でしたから仕方がないと諦めていましたが、私のミスのとばっちりで同僚や後輩に迷惑をかけているのは申し訳なくてたまりませんでした。
不注意なミスをなくすにはどうしたら良いのか・・・私は子供の頃から考え続けていました。
でも、いつも混乱状態で、大人になっても何かに急き立てられるように何もかも分からなくなって怖くなって頭も体も駆けだしてしまいそうになる私を、どうしたら良いのか・・・ずっと分からなかったのです。
考えても分からず、しまいには「私はそんな人間だから」と、考えることも悩むこともしなくなることもありました。

ある時電車のホームで大声で泣いている子供を見かけました。母親に抗議するように手を握り締めて大きな声を張り上げています。呼ばれてもその場に踏ん張って立っています。
何かが気になりました。その子供と自分との決定的な違いに気づきました。それは「動かない」事です。
その子供は両足を踏ん張って立っていました。私はいつも浮足立っていて、足が踏ん張れるなんて考えたことがありませんでした。
仕事をしながらも、これまでに不注意なミスあったのではないかと不安になって、いつものように目の前の仕事に集中できなくなりました。
堪らなくなって席から立ち上がりました。その時に朝見かけた子供の事が頭をよぎりました。気づくと私は両足に思いきり力を入れて踏ん張っていました。足の指まで力を込めて立っていると、少しずつ背中に張り付いた恐怖が無くなっていくように感じました。
ゆっくり座りました。大抵は微かに震えているのですが、止まっていました。
少しずつ落ち着いてくると、ミスが見つかったら謝って挽回しよう。ミスは取り消せないけれど、カバーすることは出来る。
そんな風に先の事を考えられるようになりました。
そういえば、2年ほど前に働いていた職場の上司は、仕事に対してとても「厳しく恐い」と評判の人でしたが、ある時、大きなミスをした直属の部下に対して言っていた言葉を思い出しました。それは・・・人間が間違えるものだ。ただ、間違いに気づいたときに、そのままにしないで、いかに迅速に対応できるかだ。それが大事なんだ!・・・と、言っていたのです。
(何故、急に思い出したのでしょう。何故、今まで忘れていたのでしょう。)

気づくと、頭の中の雑音はありましたが、あまり気にならなくなっていました。心の中のザワザワ急き立てるような不安はなくなってはいませんが、その場に留まっていられると感じました。
それが少しの自信になりました。やっぱりどこかへ飛んで行ってしまいそうな混乱や・・・飲み込まれそうな怖さはなくなりませんが、それが現実ではなく自分の感じ方なのだと区別がつくようになりました。
大丈夫、大丈夫、ジタバタしないで。こうやって足を踏ん張ってしっかり立っていれば良い。もう少ししたら静かになるから。
頭の中の雑音は遠のき、背中の悪寒は治まっていき、多分」生まれて初めて落ち着いた気分になることが出来たのです。

ずっと、子供の頃からとてもとて怖かったです。それに寂しかった。
みんなが私と同じように頭の中に雑音があると思っていたのに、自分がみんなと違うと分かってからは、自分が怖かった。
私はながいながい間、悩んで苦しんで、誰にも話すことすら出来ない「じぶん」と生きてきました。
・・・・私はADHDですか?

□この方は病院へ行って医師から診断を受けたことはありません。私には「診断」をすることはできないのです。ADHDなのかどうかを診断できるのは医師です。□

そうでなくてもそうであっても、もう良いんです。私は望まないのにいつもいる「じぶん「」と一緒に生きていくことに疲れ果てていました。
今は自分が人と違うところがあることを認めることが出来ます。混乱しそうになったらどうすれば良いかも少し分かりました。
これから先も辛いときはあるでしょうが、その時は話に来ます。

□ADHDは病気ではありません。「障がい」です。病気は治すことが出来ますが、残念ですが障がいは治すことができません。□

□ただ、自分の「個性」として生きる方法があります。□

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