「がんと向き合えないあなたへ」~共に生きること~
どんながんにも共通しているのが、悲観的になってしまう、ネガティブな感情を持ってしまうこと。
それは、自分を苦しませる、損をさせる感情を持ってしまう、ということです。
その考え方を変えて、気持ちを柔らげることが、癌を治す道に繋がる一つの方法なのです。
どんながんにも共通しているのが、悲観的になってしまう、ネガティブな感情を持ってしまうこと。
それは、自分を苦しませる、損をさせる感情を持ってしまう、ということです。
その考え方を変えて、気持ちを柔らげることが、癌を治す道に繋がる一つの方法なのです。
手術前夜、手帳に祈りを、恐れを夜明けまで書き続けていました。手術の後も体調や感謝や不安を書きとめていました。
退院してからは治療と生活することに精一杯で・・・いえ本当は5年間が恐くて時間を止めたかったのかもしれません(5年生存率)。不安から逃れたくて時間を早く進めたかったのかも知れません(寛解まで10年間)。
混乱した私は、時間そのものを忘れたかったのでしょう。手帳には、日付のない生活の様子や気持ちなどが、ごく短い文章や言葉でたくさん書かれていました。
そんな手帳を広げたある時、誰もいない一人の部屋で、笑っている自分に気づきました。
その部分を白い紙に、丁寧に書き写しました。
声に出して読んでみました。笑っている自分の声に気づきました。
笑っていると、体中の力が抜けていきました。やがて、涙が溢れました。
泣いているのか笑っているのか分からなくなって・・・どちらでも良くなりました。
どんなことがおきようと、どんな風に見えようと、私はわたしらしくここにいる。
あの時の紫陽花のように。
何度も読み返しながら・・・時間に捕らわれ混乱していた自分に気づきました。それから、今ある幸せにこころから感謝をしました。
『病の気から元の気へ』わたしは私らしさを思い出しました。そして捉えどころのない漠然とした不安から解放されたのです。
そういえば紫陽花って小さな花びらの集まりですが、何となく大きなかたまりのようなイメージでしょ。
小さな花びらは、それぞれ色、形、大きさが微妙に違います。それなのに集って一つの大きな花になるのですね。
それぞれの個性が自己主張しながらも一つにまとまって、一輪の花。
私たちのこころの中には、いろいろな想いがたくさんあります。
嫌なところも、好きなところも、もちろんありますが、それぞれが集って、「私」という花になるのだと思いました。
大切なことは、じぶんらしく在ること。
ただ自分であり続けること。
今はもう、誰も住んでいない小さな家の庭先・・・。
取り残されたような、まだちゃんと色づいていない情けないほど色もバラバラな紫陽花。
まだ梅雨入り前で雨も少ないし、「可哀想だな~」と側に立ちました。
覗きこむと、葉は萎れることもなくピンピン元気だし、茎だってシャンとしています。
「良かった!あなた元気なのね」
私がどんな風に思っても同情しても、紫陽花は生きられるように生きている。
今は情けない色だけど、いつか鮮やかに彩る日が来るのでしょうね。
乳癌になった時、家族から、友人から、たくさんの優しさをもらいました。治療をしている現在も、勇気づけてもらっています。
だから毎日明るくいることが、私の精一杯のできること・・・だから、笑顔でいるのです。
その花びら一枚一枚を見ているうちに、気がつきました。
私がこうして一人で歩くのは、笑顔じゃない顔でいたいから。ホッと一息つきたいから。
紫陽花のように、私も私らしく生きていれば良いかな? と、ちょっと元気になりました。
私らしく生きる・・・私らしいわたしは、どんなだったかな。
そのヒントは、手帳の中にありました。